special.1
special thanks to M
Paul
Kariya
ポール・カリヤ
(NHL・マイティダックス・オブ・アナハイム)
178センチ、82キロ。レフトウィング。
1974年10月16日、カナダ生まれ。
本名ポール・テツヒコ・カリヤ。日系人の父を持つ。
メイン大学1年生のとき(1992-93シーズン)、全米大学MVPを受賞。
1993年、ドラフト1巡目全体4位でマイティダックス・オブ・アナハイムに指名される。
チーム・カナダの一員として、1994年リレハンメル五輪に参加。
スウェーデンとの決勝はペナルティショット合戦にもつれこみ、
カリヤは金メダルがかかったシュートを外してしまう。
このとき、自らのシュートでスウェーデンに勝利をもたらすゴールを決めたのは、
後に、NHLの若きスターとしてカリヤとならび称せられることになる
ピーター・フォースバーグ(現在、コロラド・アバランチ所属)だった。
その後、ダックスに入団したカリヤは、
ウィニペグ・ジェッツからのトレードで
95-96シーズンの途中からダックスに加わった、ティーム・セラニとラインを組む。
この「カリヤ―セラニ」ラインは、
圧倒的な得点力を誇り、その友情の厚さとともに、
NHLに名を馳せることになる。
3シーズン目(1996-97シーズン)、21歳の若さでキャプテンに指名される。
96-97シーズンには、チームを史上初めてのプレーオフに導く。
カンファレンスセミファイナルで、強豪レッドウィングスにスイープで敗れるが、
3度の延長(第2戦は第3延長、第4戦は第2延長)を含む白熱したゲームは、
新興チーム・ダックスの躍進を印象付けた。
97-98シーズンは契約が難航、リーグ参加が遅れたうえ、
対ブラックホークス戦で受けたチェックが原因で脳震盪を起こし、
リレハンメルの雪辱が期待された98長野五輪を欠場。
一時は選手生命も危ぶまれたが、
98-99シーズンは見事な復活を遂げる。
ラインメイトセラニとともにチームを牽引、
レギュラーシーズンを、ポイント101でリーグ3位、アシスト62でリーグ3位
(セラニはポイント107でリーグ2位、ゴール47でリーグ1位)で終えた。
チームも、西カンファレンス6位でプレーオフ出場を決めた。
プレーオフでは、レッドウィングスと1回戦で再び対戦。
大型トレードにより強力な補強をしたレッドウィングスは、やはり強かった。
「僕たちは本物の努力をしたけど、
スタンレーカップチャンピオンと戦っていて、
しかも彼らが110%の力で向かってきたら、
『本物の努力』では充分ではないんだ」
悲痛なコメントを、2連敗の後に残したカリヤは、
第3戦で、敵のシュートをブロックした際、右足を骨折。
カリヤを欠いたチームは第4戦も落とし、
再びレッドウィングスにスイープを喫した。
爆発的な加速と美しさを併せ持つスケーティングと、
パスを受けてから間髪入れずに飛び出すリストショットは、
カリヤのプレーでしか見られないものだ。
最近では、小柄な体で、果敢にボディチェックを試みる姿も見られる。
グレツキーなき今、スタープレイヤーとして、更なる進化が期待される。
個人的には、いささか不運さがつきまとう印象を受けるカリヤが、
勝負強さを見につけ、スタンレーカップを掲げるのはいつの日であろうか。
special thanks to M
〈1999・1・18
ピッツバーグ・ペンギンズ―マイティダックス・オブ・アナハイム
アローヘッド・ポンド・オブ・アナハイム〉
ポール・カリヤ
言いつくされた陳腐な呼び名だ。でも、やはりカリヤは「氷上の貴
公子」だった。
アローヘッド・ポンド・オブ・アナハイムへの途上、タクシーの運
転手は、私たちがホッケーを見に行くことを知ると言った。
「ホッケーか…ポール・カリヤぐらいしか知らないな」
ディズニーを親会社に持つ人気チーム、マイティダックス・オブ
・アナハイムの看板選手として、24歳にしてすでに名高いポール・
カリヤ。画像や記事からのイメージだけで膨れあがった彼の姿が、
虚像となって崩れおちはしないだろうか。ロサンゼルスに生のカリ
ヤを見に行くことに決めてから、その怖れは常にあった。
夕闇のなか、美しくライトアップされたアローヘッド・ポンド・
オブ・アナハイムが見えてきた。このアリーナは、ディズニーがオ
ーナーのチーム、マイティダックスのホームリンクにふさわしく、
趣向を凝らしてつくられている。ショップの品揃えも豊富で、チー
ムキャラクターのワイルドウイングも愛敬たっぷりに雰囲気を盛り
上げる。
人工的な雰囲気のこのアリーナのなかでは、ゲーム前の練習のた
め滑り出てきた選手たちも、ディズニーのキャラクターのように見
えてしまうきらいがある。しかし、昨シーズン患った脳震盪の対策
のためか、練習中からヘルメットを被り、ベンチの側に立ってドリ
ンクを飲んでいる小柄なカリヤには、存在感があった。ただ立って
いるだけなら物静かな青年だが、水際立ったスケーティングとパッ
クハンドリングの鮮やかさは、映画の画面から飛び出してくるよう
な強烈な印象を見るものに与える。
NHLの次代を担うスターとして将来を嘱望されているポール・
カリヤにとって、97-98シーズンは不本意なシーズンだったに違い
ない。契約難航によってリーグ戦への参加が遅れ、ようやく復帰し
たが、ゲームのなかで起こした脳震盪によって長野五輪への不参加
を余儀なくされた。本来なら、日系人のカリヤが目玉であった『97
NHL日本公式開幕戦』でも、長野五輪でも彼を見ることができな
かった、日本のファンにとっても不幸なシーズンだった。
98-99シーズンの前半戦を終えようとしている今、カリヤは昨シ
ーズンの分を取り戻すかのような活躍を見せ、ポイントランキング
のトップに立っている。
自信に満ちた表情はゲーム前の練習からもうかがえたが、ゲーム
が始まると、一際カリヤの姿は輝いた。二つのセットに入り、セン
ターライン近くにいて、流れてくるパックを力を込めて打ち返すか
と思うと、パックを持ってゴールへと駆けあがっていく。以前は弱
点といわれたディフェンスだが、フェンス際では、小さな体で果敢
に敵DFにチェックをくらわせる。
スポーツにおけるスターの定義が、その存在だけでゲームに見る
価値を与える、ということだとするなら、カリヤはまさにスターで
ある。カリヤがパックを持った瞬間、周囲の空気が輝きだすのだ。
アナハイムがピッツバーグを1―0とリードしてむかえた第2ピ
リオド、カリヤは、彼ならではのスピードを生かしたゴール前への
飛び込みで、2点目をアシストした。
第3ピリオドに入っても、アナハイムは常に押し気味に試合を進
め、更に2点を追加して4―0とした。
このあたりから、時計を気にしなくてはならなくなったのは、本
当に残念なことだった。しかもアナハイムが攻め込まれ始め、12分
10秒、ピッツバーグがアナハイムのゴールマウスを初めて破った直
後に、アリーナを後にしなくてはならなくなったのだ。
ロサンゼルスのダウンタウンのホテルに帰ると、すぐにテレビで
ESPNをつけて、試合の結果が出るのを待った。深夜になってか
らようやく流れた画面では、カリヤのエンプティネットゴールが映
し出された。あの後、ピッツバーグは立て続けに2点を追加、4―
3の1点差まで追い付いた。勢いづくピッツバーグは、第3ピリオ
ド終了直前にゴーリーをあげて6人攻撃をしかけたが、逆にカリヤ
がゴールを決めてアナハイムが勝ったのだ。一時は4点だった点差
を1点にまでつめられたことに関して、アナハイムのヘッドコーチ、
クレイグ・ハーツバーグは遺憾の意を表したと、翌朝ロサンゼル
ス・タイムスは報じていた。
アイスホッケーを見ていて、これほど一人の選手に目を奪われた
まま、そらすことが出来なかったことはない。プレーの速さ、力強
さ、そして美しさはもちろんだが、氷上のカリヤには彼特有の雰囲
気がある。全ての神経を使って、極限までゲームに集中しているこ
とをうかがわせる、静かな迫力があるのだ。知的ともいえるような
その雰囲気は、分かりやすい豪快なものではないだけに、余計に魅
力があった。
次の日、ロサンゼルス・キングスのホームアリーナ、グレート・
ウエスタン・フォーラムからの帰り道で、タクシーの運転手は言っ
た。
「野球とバスケットは見るんですけどね。ホッケーだと、知ってる
のはポール・カリヤぐらいかなあ」
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